🌖メメントモリ🌖
私が小学校6年生くらいの時、
運動会に来られない
ご父兄がいらっしゃっるので
児童は全員教室で食べる事、
となった。
父は
「そんなのおかしい。
オレはひとりで校舎の裏で食べたで」と言った。
えっ!とびっくりして聞くと
「オレの両親は小学校の教員だったから、務める学校の運動会に行ってしまって、オレひとりや。
友達のおばちゃんに、一緒に食べよと誘われるのが嫌やから、
いつも校舎の裏に行って食べた。
だから、お母ちゃんが来てくれるヤツらなんかに
オレは絶対に負けへん。
一等章になって、お母ちゃんにメダル見せてたで」
と父はいった。
そういえば、本家に親戚が集まったら、伯母たちはいつも、末の弟の父のことを
「のぶちゃんは、
だいぶ大きなるまで
お母ちゃんおっぱいおっぱい言ってたなぁ」と笑って言っていた。
私は父に似ているらしいが、
父のようなガキ大将ではなく、
ボーっとした、いじめられっ子だった。
先生が怒って机を廊下に出し、ここで勉強しなさい!と言われてはじめて、空想から覚めるような子供だった。
授業中も先生に怒られ、
逆上がりも跳び箱もクラスで一人だけ出来ず、
太っていたので豚!といじめられ、ダメダメの私は
「体育も遊びも勉強も
絶対に誰にも負けへんかった」と強気の父に
いつお勉強したの?と
聞いてみた。
すると良いことを教えてもらった。
「学校の授業中に、集中して、全部できるようになって完結しておく。学校が終わったら、
思いっきり友達と遊ぶ。
村の他のヤツらは、お母ちゃんがずっと家にいるから、夕方にご飯よ〜と呼びに来て、
オレひとりになる。
お母ちゃんが帰ってくるまで、
メンコやビー玉や駒回しの練習をするから、遊びも負けへん。
オレはなんでも絶対に1番でないと気がすまなかった」
何をやっても負ける私とえらい違い。
しかしこれを聞いて、
授業中に、
教科書もワークも全部問題を終えてしまおうと集中する方法を知って、
空想して叱られることから脱却する事ができた。
若い頃の父と母は美男美女だったが、
私はブサイクでいじめられっ子だった。父は
「おかしい。
こんなに隆子は可愛いのに
なんで誰も可愛いと言わへんのや!」と言っていた。
父は
「隆子はワシのもんや。
絶対に誰にも渡さん」と言っていたのに、
同じ会社に勤めている吉田くんに私を見合させ、結婚式で
「吉田くんに嫁さん出来て良かった」と喜ぶ会社の上司のおじちゃんたちと一緒に、
ニコニコしていた。
コロナのワクチン打ったら
食欲なくなって食べられへんなどと去年の秋ごろ言っていたが
今月初め
末期癌であることがわかった。
私の夫もそうであったが
負けず嫌いで弱みを見せない父は、
母の透析の送り迎えを今月までし、普通に暮らしていたので、村の人や知り合いはびっくりしていた。
近所のお医者さんが在宅医療にきてくださることになった。
夫の時と同じように
刻一刻と病状は進み、昨日介護ベッドから降りようとして
足に力が入らず、滑って動けなくなった。
今日、
「子供に迷惑かけるし、早くいかせてください」
と言う父に
「法律で許される範囲で苦痛を取り除こうね。飲み薬飲めなくなってきたから、貼り薬の麻酔を使おう。
ご家族の方それで良いですね」
と言われたが
あまりの会話に、理解がついてゆかなかった。
「病人扱いせずに、お父さんのそばでご飯食べたり話をして
ここで楽しくみんな過ごしてあげてね」とお医者さんは言った。
ご飯を食べられないお父さんの前で食べちゃ可愛そう、と母が言うし、父が寝ている座敷をそっとして
居間で食事を取ったり、相談したりしていたが
明るい光さえしんどい父のそばで、
騒がしくしていいのか?
苦しむ父のそばで
どうやって楽しく過ごせばいいのか?
82歳のこの3週間前まで、
タフで強気で、仕事も遊びもファイトを燃やしたイケメンの父は
体が動かなくなっていくことはどんなに悔しいだろうか。
全然わからないけれど
そばに寄り添って
貴重な時を過ごそうと思う。
そして、私は、
私の夫や父が、
私にしてくれたように
しなければいけないなぁ
と反省する。
私の子どもにも、
生徒さんにも、
私の周りの人にも
素晴らしい!最高!と
信じる事を。