1月17日

2024年01月22日 19:24

🌏1月17日🌏

1995年1月17日
私はまだ20代だった。
宝塚市の
阪急逆瀬川駅から坂を上がった社宅に住んでいた。
道路公団の社宅だった。
2歳の娘と0歳の息子に授乳をしながらいつもそのまま寝てしまう半裸の私に、しかたないなぁと、夫が布団をかけて隣に眠るという、理想と程遠い、毎日だった。
5時ごろ、地震で目が覚めた。
夫は私と子供たちの上にダイブして守った。何も動けなかった私は、夫の下で「この人偉いなぁ」などと思っていた。

7時ごろようやく明るくなってきて、電気もついた。
テレビをつけると、高速道路が倒れていた。夫は「なにっ?!!」と叫び、「みんな外に出てこないかな」「会社に行かなあかん」と窓を見ていた。
「えっ!こんな時に会社なんか行かれへんで!危ないで!」と私。
しばらくすると、お父さんたちが外に出てきて、夫も出て、なにやら相談していた。

子供の大きいお父さんが何人か、西宮北口駅まで歩いて、なんとか大阪本町の会社まで行くことになったらしい。
夫がいてくれることになって、私はほっとした。

いざという時、
家族を守ろうとし、壊れた高速道路をなんとかしようと考えた夫に引き換え、
いざという時、
私は自分のことしか考えられなかった。
子供を守ろうとすることさえできなかった。

2019年1月17日。
15日に亡くなった夫の葬式。
やっぱり私はぼんやりして、
何も動けなかった。
父母と、夫の会社の人が受付やらなにやら手伝ってくれた。
会社の社長さんたちも
阪神大震災のセレモニーの後に駆けつけてくれて
お通夜もお葬式もたくさんの人が来てくれてた。

2024年1月16日今日。
あれからまた1月17日が来る。
自分を守ろうとしてくれる人が周りにたくさんいて、
賑やかで楽しい毎日を送ることが当たり前の私の人生だと思っていたが、
この5年の間に、
夫と両親と、ふるさとを失った。
子供は独立して、
私はひとりになった。
人は孤独でひとりなのが当たり前ということに、初めて気づいた。

そして、能登地方に
大きな地震がまたあった。
わたしは、まだ無事でいる。
おとつい行った高野山に
「いのち輝かせ」と書いてあった。

いざという時、
自分本位なわたしだけれど
なんだかわからないけれど
何をすべきか考えつつ
楽しんで頑張ろうとおもう。

🌏今日もありがとうございました^_^

今日の絵本は
高野山のお土産屋さんで何気に買った本。

「苅萱かるかや」と言って
歌舞伎、浄瑠璃、仏教説話など
たくさんいろいろ扱われている
有名なお話だそう。
戦国時代には
わたしより、
もっともっと若い時に
大切な人と別れる痛みを持つ人がたくさんいたから
このお話が人気だったのでしょうね。


https://youtu.be/YAI2_Xf-_4M?si=i4yGjQEiNUdGnyVF

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